補陀落山 大善院 - 大善院由緒

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大善院由緒

常滑の町は、知多半島の中程で伊勢湾に面し、十一面観音鎌倉なた彫り様式の彫像であり、頭部に十一面を表す。 正面に三つの菩薩面、左に三つの瞋面、右に三つの狗牙出面、後に大笑面、頂上に阿弥陀化仏を戴く。古くから陶器が焼かれた日本六大古窯地の一つとして知られています。丘陵地の多い起伏に富んだ一角にお堂が建ち、十一面観音様をお祀りしています。
観音様の浄土を補陀落山といいます。フダラク (梵名Potalaka) とよび、インド南方の海岸にある山とされ、険しい山頂には鏡のような池があり、澄んだ水は山々を巡り南海にそそいでいると伝えられています。
詳しくは、補陀落山観蓮寺大善院とよび、弘法大師空海上人が開宗された真言密教の教えを伝えております。

白鳳時代(683)、天武天皇の勅願所として常滑村の南方向、御嶽山一帯に七堂伽藍、三百坊の僧院が創建されましたが、次第に荒廃の途をたどり、これを嘆いた時の僧、養春上人は一坊の本尊十一面観音菩薩を拝し、観音様の浄土に相応しい現在の地を選び奉遷したのがはじまりです。
室町時代になり文明元年(1469)、常滑城初代城主水野監物忠綱公は領内安全の大悲願により六坊を再建、本坊の大善院には新たに本尊十一面観音、両脇立不動明王、毘沙門天の三尊を祀ります。興覚法印が中興開山第一世として寺院復興の基盤を築き、現在第二十九世に至ります
明王三年(1494)、本坊である大善院は常滑城の鬼門にあたるところから、常滑三社の一社である中の宮 (牛頭天王) を寺内に奉祀、鎮守として尊崇されています。

知多四国八十八ヶ所霊場知多西国三十三観音霊場札所としても多くの御信篤を集めています。

毘沙門天
毘沙門天

不動明王
不動明王

双狐棒玉
双狐棒玉

家康公奉納 木馬
家康公奉納 木馬

十二天屏風
十二天屏風

樹齢五百年 いぶき
樹齢五百年 いぶき

中の宮 茅の輪くぐり
中の宮 茅の輪くぐり